訳も分からず流行に乗っているだけだと、非常にもったいないです。
こんにちは、すずきです。
先日、尾鷲商工会議所様で職員向けのマーケティング研修会を実施しました。
その時にお話した内容を少々シェアします。
いまや猫も杓子も「情報発信」
時は2016年。
未だに車が空を飛び交う時代は来ていません。
でも、インターネットを介して、情報は世界中を飛び回るようになりました。
今から20年前には、インターネットなんてマニアのたしなみに過ぎませんでした。
しかし、今や「インターネット」という言葉がむしろ死語になりつつあるほど、インターネットがあらゆる生活に根付くようになっています。
現代の企業活動では、インターネットを全く使わない事はほとんどありません。
コミュニケーションの基本は電話とメール。
メールはインターネットの生み出した文化の極みだよ。
最近はメールだけでなく、FacebookやTwitter等のSNSも、大きなネット上のプラットフォームになりました。
学生はスマホを片手に、好き勝手ツイートしながら通学路を歩く。
Facebookでは友達の近況を知り、「実際に会えなくても楽しい」と感じる。
いつでもどこでも持ち歩いてネットが出来る携帯電話の発達や、SNS等の便利なツールがドンドン出来上がったことで、もはやインターネットは完全な国民の生活インフラとなり替わりました。
今ではほぼ全ての人が、毎日何かしらの形でインターネットに触れています。
さて、そんな時代になったものだから、企業は自社や製品のPRに、インターネットを重視する世の中にもなってきました。
以前は「とりあえずCM打っとけ、あと雑誌な」となっていたのが、今では「SNSでこうして、あのサイトではこんな記事を作って…」なんて、事細かな所まで決めるようになってきています。
また、インターネットによって、情報が爆発的に広がるようになった今では、全国各地のあらゆる会社や団体において、「情報発信しよう!」と声高に叫ばれるようになりました。
何だか今更感がすごくある言葉ではありますが、今までインターネットに親しくなく、情報爆発の中にいなかった人達からしたら、「情報発信」なんてものは目新しい領域な訳です。
尾鷲市もそうですが、例えば自治体はどこもかしこも、「情報発信」の大切さに気付き、気合を入れてネットで情報を出して行こうとしています。
もうありとあらゆる所で聞かれる「情報発信」という言葉。
FacebookやTwitterが日本に普及して、インターネットの裾野が大きく広がった時期には、そんなに聞かなかった言葉だったんだけどなぁ。
今ではあちこちの会社や団体がその言葉を使っていて、Webサイトでも、雑誌でも、新聞でも、とかく色んな所で目にするようになっています。
「情報発信」という言葉の独り歩き感
とにかく、そうやって「情報発信」という言葉が、今は世間に溢れています。
それに伴って、どうも僕には、「情報発信」という言葉が独り歩きしている印象を受けるんですよね。
と言うのも、「情報発信=情報をネットに出す事」という意味で使われている例がとても多いからです。
いや、それは間違っていない。意味としては合っているんです。
でもね、ただ「情報をネットに出せば良い」ってニュアンスが、ひしひしと伝わってくる例ばかりなのが問題なんですよね。
どうにも概念の本質を掴まずに、表面だけ「流行だから」と真似している感じなんですよ。
僕は立場上、尾鷲市や他の自治体の施策内容を見ることが多いです(地域おこし協力隊関係とかね)。
そうすると、やっぱりとかく「情報発信」って言葉が目に付きまくるんですよ。
例えば、地域おこし協力隊の募集要項では、仕事内容に「SNS等による地域の情報発信」ってのが非常に多く含まれているんですよね。
いや、仕事内容として、地域の情報発信は確かに大切で必要なものです。
だけど、僕の意見では、協力隊の仕事内容に「地域の情報発信をする」っていう文言があったら、それは「何も言っていない」のと等しい場合があります。
それはやはり、「ただネット上に情報を投稿する」というニュアンスで使われている感満載なものが多いからです。
「あなたのミッションの中で、わざわざ情報発信する必要あんの?」って言うのも中にはありますからね。
情報発信って、本来はそうじゃない。そうじゃないんですよ。
「情報発信」の正しい定義を提言したい。
これは辞書に載っているような定義ではなく、僕なりの定義なのですが。
僕が「情報発信」という言葉を使う場合、以下の意味で使っています。
情報を、多数の人に、目的を持って伝えること
「情報を伝える」と言うのが情報発信の基本であることは否定しません。
しかし、僕はそこに「多数の人に」「目的を持って」という意味を付加します。
これが僕が使う「情報発信」という言葉の定義です。
ここで大事なのが、「目的を持って伝えること」。
わざわざ情報発信と言葉を用いるくらいなのだから、情報をネット上に流すだけの価値はある、と判断しているということ。
その価値とはすなわち、「目的を達成できること」なんですよね。
これ、分かっているはずなのに、分かっていない人がすごく多いと思うんです。
例えば、僕は「尾鷲市への移住者を増やす」という仕事をやっています。
そこで「尾鷲の魅力をSNS等で情報発信する」という任務を与えられたとします。
その場合、情報発信の目的とは、「尾鷲の魅力を市外の人々に知ってもらい、移住を促して移住者増に繋げる」という事になります。
その目的があれば、「移住検討者が魅力的に思える情報は何か?」と考えられるようになります。
だから、しっかりと彼らに有意義な情報を流すことが出来るようになります。
それであれば、ちゃんと仕事の一つとして成り立ちますよね。
逆に、目的を分からぬまま、現状をひたすらネットに流していても、マジで無意味。
毎日「おはようございます!いい天気ですね」とか「本日営業しています」だけ機械的に書いたところで、それは「情報発信」にはなり得ません。
「自分がこうしたい、こうなりたい」と思って届ける情報とはつまり、「相手にこうして欲しい、こうなって欲しい」という事に直結します。
「俺の魂の歌を聴かせたい」と思ったら、「リスナーの魂を打ち震わせたい」というのと一緒なんです。
自分の目的が明確であれば、相手に求める効果も明確になるんです。
そうなると、お互いに「有意義な情報」を発信できるようになるんですね。
何かを発信したら、何かが受信してくれなきゃいけませんよね。
受信してくれる物が無いのに(受信に値する価値が無いのに)何かを発信しても意味ないっつー事です。
それは「情報発信」と名打つには、とてもじゃないがおこがましいもんです。
さてさて、もう一つ「多数の人に」伝えるという部分。
これは、「数人など、少数に限られた会員のみに情報を流す」事が「情報発信」と呼ばれない、という意味があります。
ですがもう一つ、目的達成のために必要な、ボリュームの担保という意味でもあります。
わざわざ何らかの目的を達成するために情報発信を行うのだから、当然、「目的を達成する」事は出来なくちゃいけない。
その時、情報を伝える相手があまりにも少なすぎたら、ロクな目的を達成することが出来ないのはすぐ分かるかと思います。
100万部刷った少年ジャンプを販売するのに、10軒の街の本屋だけに情報を流したって、そんな部数捌けっこありません。
100万部全て売り切ろうと思ったら、そりゃあ大手から零細まで、全国津々浦々の書店等に、ジャンプ新刊発行のお知らせを流すはずです。
発信する相手が多ければ多いほど、期待できる最大の効果は上がっていきます。
だからこそ、情報発信は大きなパイを狙って、不特定多数に情報を撒いていく行為と定義付けることができるのです。
情報発信は「目的達成の手段」なのだ
はい。ここまでで、僕の「情報発信」という言葉に対する持論を述べていきました。
結局、僕が言いたいのは、「情報発信とは、目的達成の手段である」ということ。
情報をネットに公開する「情報発信」そのものが目的では決してありません。
何らかの目的…事業計画にコミットしたKPIの達成等をもって、その達成のために行う一つの手段こそ「情報発信」なんです。
つまりは情報発信って、有料で広告を出すことと何ら変わりがないんですよ。
と言うか、「広告を打つこと」って、僕の定義する「情報発信」ですからね。
SNSだとかに記事を書いて投稿するのが主なイメージになっていますが、有料の広告だろうが取材記事の掲載だろうが、それも「情報発信」ですよ。
この記事は、「あぁ、ウチ、情報発信の意味を良く理解しないで使ってたなー」と読んで思った人への道しるべとなれば幸いです。
SNSへの投稿数やリーチ数は、KPIとして置くべき要素ではないのです。
大切なのは、「SNSの記事経由で発生した、期待すべきアクション数」です。
目的を達成するための一手段としての情報発信、という定義を、一人でも多くの方に知って頂きたいなーと思う所存でございます。
じゃあの。
P.S. 研修会の様子が新聞に掲載されました。
先日、尾鷲商工会議所の職員様方に、マーケティング研修会を開かせて貰いました。
— 鈴木教平 (@munewo_house) 2016年7月12日
こんな大々的に新聞掲載されて嬉し恥ずかし。
これから、もっと本格的な中小企業向けマーケティングセミナーの開催に向けて準備中。やったろうらい。 pic.twitter.com/gzmIc9syOJ